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松本城 [城]

随分久し振りにブログを更新します。
小生も今年還暦を迎えました。
定年ということで一旦退職はしますが、嘱託ということで、引き続き同じ職場に勤めます。

節目ということで、僅かな休みをとって、信州に行くことにしました。
当初家内と二人で旅行するつもりでしたが、子ども達を誘って見ると、皆一緒に行くと言ってくれました。次男と三男は、就職して関東にいるので、現地集合で松本駅で待ち合わせることにしました。

私と家内と三男は、朝6時に大阪を車で出発。西名阪を通って、名古屋経由で、中央道を走ります。途中、工事渋滞もあり、待ち合せ時間に少し遅れて、到着しました。駅のそばの駐車場に入れて、昼食は信州蕎麦を食べました。人気店なのか、店に入るのに少し並び、料理が出てくるのに少し待ち、お値段は少し高めでした。味はまあまあでした。

食事後、早速松本城に行きました。これで国宝の天守閣を持つ5つの城はクリアしました。日本100名城はまだまだですが。
この日は天気が良く、北アルプスの峰峰を背景に、すっくと立つ漆黒の天守閣は、今まで見た数々のお城の中でも一二を争う美しいものでした。

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松本城は、徳川家康の家老であったにもかかわらず、その後出奔して、豊臣秀吉に仕えた石川数正の居城として有名です。豊臣秀吉の小田原征伐の後に、石川数正は松本城に封じられることになるが、松本城が近世城郭として整備されるのは、数正とその子康長の時代です。

その後、大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が入城。大坂の陣以後は、松平康長や水野家、松平康長にはじまる戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城としました。

松本城の天守閣に登った後は、松本市立博物館を見学し、夕方宿に着きました。

親子5人揃って旅行したのは、十数年ぶりで、幸福な時間を過ごすことが出来ました。

岡崎城 [城]

岡崎城は家康の生まれたところである。

家康は、寅年の寅の日の寅の刻に生まれたと、山岡荘八の「徳川家康」に書いてあったが、本当のところは知らない。

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岡崎公園内には、家康に因んだものが多くある。

名古屋城の名古屋おもてなし武将隊に対抗して、グレート家康公「葵」武将隊というのもあるようだ。

三河武士のやかた家康館が資料館になっている。甲冑を試着するコーナーや、関ヶ原の戦いのジオラマもあって、子供も楽しめるようになっている。

関ヶ原の戦いのジオラマの前で、小学生位の男の子が、友達に武将の解説をしているのを見て、我が国の将来に僅かな希望が持てた。


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名古屋城 [城]

今年のゴールデン・ウィークは、5月1日、2日と休みを取り、9連休であった。前半は、故郷に帰省し、後半の一日は、日帰りで城めぐりに費やすことにした。

大阪から西名阪経由で名古屋に行く。第一の目的地は名古屋城である。

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駐車場を見つけるのに苦労した。名古屋城の周りの道路は路上駐車で路肩に一部の隙間もない状態だ。やっと見つけた駐車場に入れる時、駐車場のおじさんに名古屋は路上駐車が多いですねと言うと、土日は路上駐車が認められているということだった。しまった、駐車料金損したと思ったが、後の祭りであった。

名古屋城は、名古屋おもてなし武将隊が有名である。二の丸広場で武将隊との記念撮影をするため行列が出来ていたが、ちらと横目に見ただけであった。

西の丸で大道芸のパフォーマンスをやっていた。芸もさることながら、トークが面白く、思わず財布を取りだしたが、横で家内が睨むので、100円玉を帽子の中に入れた。

名古屋城では、本丸御殿の復元工事の最中であった。工事の様子をパネルで見た後、天守閣に登る。名古屋城天守閣は、戦前は国宝であったが、名古屋大空襲により焼失した。天守閣が焼失していなかったら、姫路城より先に世界遺産に指定されたであろうとガイドの人が説明していた。

名古屋城のキャラクターに「はち丸」というのがいる。ちょうど昼休憩で事務所に帰ろうとしているところを家内が無理やり頼んで一緒に写真を撮った。最近日増しにおばさんパワーを身につけつつある家内であった。

北陸の旅⑩ 丸岡城 [城]

昨年9月に行った北陸旅行の記事が途中になってしまった。

前日、午前高岡、午後金沢と廻った。生憎、天気はあまりよくなかった。

この日はやっと晴れた。

家内がテニスの試合に出ている間に、福井の丸岡城まで走ることにした。

丸岡城に行くのに、レストラン兼お土産屋さんの駐車所に停める。駐車料金はただだ。公共の施設なのだろう。

歴史民俗博物館もあったのだが、まずは天守閣を見ることにする。

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丸岡城は、柴田勝豊(勝家の甥)が天正四年(1576)北ノ庄城の支城として築城したお城で、別名、霞ヶ城という。屋根が珍しい石瓦でふかれたこの現存する天守は日本最古を誇っており、城郭建築史上の重要な遺構とされており、国の重要文化財である。

天正10年(1582)の本能寺の変後、勝豊が江州長浜へ移ると、城主は安井家清・青山修理亮・忠元・今村盛次と代わり、慶長18年(1613)本多成重が4万3,000石で入城した。

成重は、「鬼作左」の名で知られる三河三奉行の一人、本多作左衛門重次の嫡男である。

重次が陣中から家族にあて、『一筆啓上、火の用心、おせん泣かすな、馬肥せ』と書き送った手紙の話は有名だが、その文中の”おせん”は、幼名を仙千代といった成重のことである。

本多氏は、4代重能の元禄8年(1695)、お家騒動に因を発して除封となり、かわって有馬清純が5万石で入部、8代、160年間伝えて、明治維新に及んだ。

昭和9年(1934)国宝に指定されたが、昭和23年(1948)福井大震災により倒壊した。昭和25年重要文化財の指定を受け、昭和30年に修復再建された。

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北陸の旅⑦ 金沢城・続き [城]

二の丸広場に立つ。随分広い。

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菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓と一続きになっている。

金沢城の復元整備事業の第1期工事として、平成10年3月から実に3年4ヶ月をかけて、平成13年7月に完成した。3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を2層2階の五十間長屋でつないでいる。これらの建物は、戦の際に二ノ丸を守るための施設で、菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器等の倉庫だった。

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内部に入ることが出来る。

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櫓内から見た三の丸

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北陸の旅⑥ 金沢城 [城]

治部煮を食べた後、いよいよ金沢城に向かう。

前田利家の銅像が迎えてくれる。

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前田利家

言うまでもなく、加賀藩主前田氏の祖であり、豊臣政権の五大老の一人であった人物である。

兼六園側の石川門から入城する。

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石川櫓

石川門.jpg
一の門

大手門.jpg続きを読む

北陸の旅④ 高岡古城公園 [城]

9月17日である。前日は白山市のビジネスホテルに泊る。狭いし、朝食も今一であった。

生憎と天気は芳しくない。家内を能美市の辰口丘陵公園テニスセンターに連れていく。この天気では、試合があるかどうかは不明だ。家内のテニスの試合がある日は、よく雨が降る。雨女だろう。

私は、まず富山県高岡市にある高岡城跡に向かう。初めて富山県に入る。いや、列車では通過したことはあるかもしれない。

高岡城跡は、高岡古城公園として整備されている。車で公園の廻りを一周して、やっと駐車場を見つける。駐車場のおじさんに聞くと、公園を利用する人であれば、駐車料金は無料だそうだ。

高岡古城公園.jpg

公園は、随分と広大だ。

まずは、公園の反対側にある、高岡市立博物館に行く。日本100名城のスタンプをゲットするためだ。

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高岡市立博物館

博物館の入口が二つあるので、片方に入って、スタンプはどこにあるか聞いた。係りの女性がわざわざ案内してくれた。スタンプはもう一方の入口の近くにあった。

博物館には、歴史的資料だけでなく、産業的資料もあり、高岡市の産業もよく理解できた。

公園の中を見て回る前に、公園のすぐ近くにある高岡大仏を見ることにした。車で周辺をうろうろしている時に見つけたのだ。

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北陸の旅② 一乗谷朝倉氏遺跡 義景館跡と庭園跡 [城]

復原町並みの道路を挟んだ向う側に、義景館跡と庭園跡がある。

朝倉氏は一乗谷の地に5代100有余年にわたり居を構えていたが、現在見ることの出来る館跡は、朝倉氏最後の当主であった義景の時代のものだけである。

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まず、唐門である。

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義景館跡の正面、濠に面して建つ唐門は5代義景の菩提を弔うために建てられた松雲院の寺門である。豊臣秀吉が朝倉義景の善提を弔うために寄進したものと伝えられている。現在のものは何らかの理由で江戸時代中頃に建て替えられたもので、門内の上部には朝倉家の「三ツ木瓜」の紋と豊臣家の「五三の桐」が刻まれている。

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義景館2.jpg

義景館跡である。花壇の跡も見られる。

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北陸の旅① 一乗谷朝倉氏遺跡 復元武家屋敷 [城]

9月の16~18日まで北陸旅行に出掛ける。家内のテニスの試合に便乗して、福井、石川、富山と城めぐりをする。

最初の目的地は、日本100名城の1つ、一乗谷朝倉氏遺跡である。

一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡であり、一乗谷城と山麓の城下町からなる。

最近、ソフトバンクのCMで有名になって、訪れる人が増えているという。

まず、駐車場に停め、復原町並を見学する。

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発掘調査によって一乗谷には当時京都のような整然とし た町並みがあったことが確認されている。その中心部にある武家屋敷跡群、その中の一つを遺構と当時の歴史文献を参考に復元した武家屋敷立体復元地である。復元された建物は30坪の主殿を中心に、蔵、納屋、厠、井戸などすべて当時のままに再現され、また当時の町並みも200メートルにわ たって再現されている。

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津和野と津和野城跡④ 歴史と本丸 [城]

津和野城の歴史は、鎌倉時代に始まる。

弘安5年(1283年)吉見頼行が沿岸防備のため西石見地方の地頭としてこの地に赴任、永仁3年(1295年)より三本松城(津和野城の旧名)の築城を開始し正中元年(1324年)完成した。以後、14代にわたり吉見氏が居城した。

吉見氏は戦国時代には当初、大内氏に属した。11代当主正頼は天文23年(1554年)に大内氏を滅ぼした陶晴賢と100日以上に及ぶ籠城戦の末、陶軍を撃退した。この際に毛利軍の援護を受け、これ以後、毛利氏に属した。14代当主広長は慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いにおいて毛利配下として大坂城を守った。しかし、毛利輝元を総大将とする西軍が敗れ、毛利氏は防長2国に押し込められた。吉見氏も津和野を退去し、毛利氏とともに萩に移住した。

代わって東軍に属した坂崎直盛が3万石(後に加増され4万3468石)で入城し、城の大改修を行った。大手の位置を吉見氏時代の搦手側に改め、出丸や織部丸を築いた。この時、二の丸に天守を築いた。直盛は元和2年(1616年)かの千姫事件で自害(または家臣に殺されたとも)し、坂崎氏は改易となった。

元和3年(1617年)因幡国鹿野藩より亀井政矩が4万3千石で入城。以後、明治維新まで11代にわたり亀井氏の居城となった。

貞享3年(1686年)城は落雷にあい火災が発生した。この際に天守も焼失し、以後再建されることはなかった。

明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となり、翌年、山上の城は解体された。


出丸跡から山道を下り、再び上り坂になる。この辺りがきつい。

そして、三の丸、二の丸、本丸の石垣が見えてくる。

東門跡.jpg
東門跡

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馬立・台所跡の石垣

ここは三の丸に当たる所。階段を登り、左手が馬立で、乗馬をつなぎとめておく所である。

馬立・台所跡.jpg

右は三段櫓の最上部の建物につながる。馬立の奥には、台所があり、さらに奥には、海老櫓という建物があり、搦め手に直面する望楼であった。

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