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海の史劇 [吉村昭]

海の史劇

海の史劇


日露戦争の日本海海戦を描いた作品と言えば、司馬遼太郎の「坂の上の雲」であるが、この作品は日本海海戦とそこに至るまでのバルチック艦隊の航海を主にロシア側から描いている。

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吉村昭・遺作「死顔」 [吉村昭]

雑誌「新潮」の10月号に吉村昭さんの遺作「死顔」が掲載されている。病床で書いたのかと思うと感慨深い。
次のような内容だ。危篤の次兄を見舞いに行き、2日後に次兄の死を知らされる。通夜、葬儀と出席する中で、すでに亡くなった家族の死、やがて自分の死へと想いが至る。
自分の死を予感した内容となっている。

その中で、自分の遺言とも言えるべき内容のものがある。
1つは、延命治療はしてくれるなということ。
幕末の蘭方医佐藤泰然の最期を引合いに出している。
佐藤泰然は、自ら死期が近いのを知って、高額な医薬品の服用を拒み、食物も断って死を迎えた。いたずらに命ながらえて周囲の者ひいては社会に負担をかけぬように配慮したのだ。
もう1つ、死顔を他人に見せてくれるなということ。醜い姿を他人の目に晒されたくないのだ。自らも次兄の死顔を見ようとしなかった。

そして、実際に夫人の津村節子さんにそのような遺言をされたようだ。


同時期に発売された「文藝春秋」10月号に、津村節子さんのお別れ会挨拶・吉村昭氏の最期が載っている。以前紹介した新聞記事の内容の通りだが、吉村昭さんの延命治療を拒否した死に方に清々しさを感じる。

ご冥福を祈りたい。


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大黒屋光太夫 [吉村昭]

大黒屋光太夫 (上)

大黒屋光太夫 (上)


大黒屋光太夫 (下)

大黒屋光太夫 (下)

  • 作者: 吉村 昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/05
  • メディア: 文庫


井上靖の「おろしや国酔夢譚」という本を読んだことがある。
この本が同一人物を主人公にしていたとは、最後の解説を読むまで、分からなかった。
乗っていた船が破船し、漂流し、ロシアに流れ着く点では同じでも、細部のエピソードで異なる点が多いためだろう。
吉村昭独特の、細部を詳細に、時間の経過とともに淡々と描いていく文体は、よりリアルさを増して、読んでいる者の心に響いてくる。

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作家・吉村昭さん逝く [吉村昭]

7月31日、作家の吉村昭さんが、79歳でなくなった。
訃報は、8月4日の日経新聞で黒井千次氏の「吉村昭さんを悼む」という記事を読んで初めて知った(当然それまでに訃報の記事はあったのだろうが、読み飛ばしてしまったようだ)。


=日経新聞文化欄の記事=

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間宮林蔵 [吉村昭]

間宮林蔵

間宮林蔵


 江戸時代後期、樺太探検をした人物。中国大陸と樺太の間に海峡があることを発見し、その海峡に間宮海峡と自分の名前まで残している。世界的にも有名な探険家だ。
 吉村昭は、この時代を舞台にした小説を数多く残している。記録文学的手法で、取材および資料に基づき、客観的に微細に克明に描くことにより、間宮の実像に迫っていく。
 間宮は、貧しい農家の生まれであるが、役人村上島之允の下僕になったことから、探検家への道が開ける。
 前半は、探検家としての間宮を描く。彼が、樺太への探検をするのは、20台だ。幕府の命令によるものだが、自ら志願したこともある。その探検はまさしく過酷なもので、何度も失敗しては、再チャレンジしている。飢えと寒さに苦しめられて、よく生きて帰れたと感心する。目標を持ったら、途中で困難に遭遇しても、最後まで諦めず、やり抜くという強い意志を持った人物だ。現在の我々にも参考になる。
 吉村昭は、自然の厳しさを淡々と描いており、よりリアリティを増している。冬の真っ白ら樺太の景色が目に浮かぶようで、また、寒さが、身にしみるように感じられる。
 後半は、役人としての人生だ。いろいろな幕末の事件と遭遇する。中でも、シーボルト事件とは、深い関わりを持つ。彼が、シーボルトからの贈り物を受け取らず、上司にそのまま渡したことが、シーボルトを取巻く人々に疑惑を抱かせたきっかけをつくったとも言える。間宮は、非常に用心深い人物でもあり、正義感が強く、自分がこう思ったら、後には引かないというタイプだ。
 また、幕府の隠密として、全国を旅し、浜田藩の密輸も摘発することになる。
 ただ、最後は寂しい最期だ。一度の妻帯もすることなく、子供もなく、一人寂しく、死んでいく。
 後日談として、シーボルトのその後が書いてあるが、皮肉なことに、間宮を世界的探検家として有名ならしめたのは、シーボルトの著書「ニッポン」ということになっている。シーボルトがいなければ、樺太が半島でなく、島だと発見したのは、間宮ではなく、別のロシア人ということになっていたはずだ。


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彰義隊 [吉村昭]

彰義隊

彰義隊

 彰義隊とは、幕末の維新戦争の際、上野の山に立てこもって、朝廷軍と闘った旧幕臣からなる義勇軍である。
 
 しかし、この物語の主人公は、上野寛永寺山主である輪王寺宮であり、皇族でもある宮がなぜ旧幕府側の盟主に担がれていったのか、運命に翻弄されながら辿る数奇な半生を描く。
 
 鳥羽伏見の戦いに敗れ、徳川慶喜が大阪から江戸に逃げ帰るところから物語は始まる。徳川慶喜は、東征大総督有栖川宮熾仁親王への取り成しを輪王寺宮に依頼するのである。輪王寺宮は江戸が戦火に苦しむのを憂慮して、慶喜の申し出を引き受ける。宮はわざわざ駿府まで行き、熾仁親王に嘆願するが、けんもほろろに追い返される。
 
 やがて、朝廷軍が江戸に侵入、旧幕臣の有志が彰義隊を結党、上野の山にこもり、戦闘に発展して行く。戦闘は一日で終わり、朝廷軍が圧倒的な戦力で勝利を収める。宮は積極的に彰義隊に加担した分けではないが、東征軍の出頭命令に応じなかったばかりに、朝敵とされ、上野の山を下りて、逃亡の旅が始まる。
 逃亡生活は、ついに東北まで及び、奥州諸国連合の盟主に担がれることになる。
 しかし、奥州諸国連合も一国一国と朝廷軍の軍門に下り、宮も降伏することになる。
 
 自分の意思とは関係なしに、高貴な身分ゆえに周りに利用され、運命に翻弄される様子が、よく描かれている。吉村昭は例によって、細かな資料収集と取材により、宮が逃避行の中で、いろいろな人と関わり、苦悩していく様を坦々と描いている。
 
 明治になり、宮は許されて、海外留学し、後に軍人になるが、最期まで、かつて朝敵であったことを悔やまれていたそうだ。
 
 この本の中で印象に残った人物が二人。
 
 一人は、榎本武揚。朝廷軍と最後まで戦い、五稜郭の戦いで敗れるが、後に新政府に登用される人物。宮の逃避行を助け、その艦船に乗せ、東北まで送り届ける。宮の周囲に外国に逃れようという意見があった時に、次のような異見を唱える。
「宮様がそのようなことをされては、わが国の恥辱です。恐れながら、皇族の御身として御生死は、この国で決すべきと存じます。」これにより、宮は朝廷軍に降伏することを決意する。榎本は男らしく、さわやかな人物に描かれている。
 
 もう一人は、宮の執当である覚王院である。彼は、東征大総督府が江戸に侵入して来た際、再三の出頭命令を独断で拒否、宮が朝敵として追われる原因をつくる。彼は、宮が朝廷軍に降伏した際、罪人籠で東京に押送される。東京で厳しい詮議を受けたが、あくまで自分が独断でやったと主張、自ら食を断って、ついに牢死するのである。凄まじい生き様である。
 
 宮の人生は、今まで歴史の中に埋もれていた部分である。最期台湾に総司令官として、出兵、マラリヤにかかって、戦場で死ぬ。宮にとっては、国のために役立って死ぬことができ、満足して死を迎えたのではないか。まさしく、ハッピーエンドだと思った。
 

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